non-biri56のブログ

子育て修了。夫とは平和的別居中。人生後半突入。思い出記録。

ひまの結婚

ひまが結婚したいらしい。

大学の時からの彼ひろしは、素直なスポーツマン、一緒に社会人になり、一緒に成長してきた。

ひろしが挨拶に来た。私も夫ももちろん反対する訳もなく、ただの形式。夫のための儀式だと思っていた。

ひまと結婚します! 結婚させてください!そんな言葉を発しにくるんだろう…

それがだ!ひろしの挨拶はとても長かった!

ひまのことをとてもリスペクトしていること。自分が成長できたこと。自分の弱いところ。ひまの弱いところ。ふたりならなんでも乗り超えられる!事例を交え、全てを、見事に語った。

よくぞ、やりきった!ブラボー👏 ひろしありがとう!

お互い助け合い、ずっと幸せでいられる!そんな自信を感じた。

 

そして、ひまの苗字が変わる日が来るのだ。

 

ひまは現代っ子。世の中、女性が苗字を変えることが普通。それが常識と考えられている事がどうしても納得できない。

何が嫌なのか?

それはこれまでの4人家族。野原チームからひとり抜けるのが嫌だと言う。

この先、世の常識通りなら、しんのすけは野原のまま。なんで自分だけ…と思うのだと…

ふたり兄妹、4人家族。チームなんだ!!私はその言葉に驚きながらも、すごく嬉しかった。作り上げてきたチームなんだ!

 

私はひとりっ子で、家族をチームと思った事など一度もない。両親がペアで、私はそこにひとり居候している感じ。いつも親の意見が同じで、諭され、黙って従うような関係だった。多数決で負けるから、従うしかない…。苗字が変わる時、正直、何の寂しさも感じなかった。私の中で苗字が変わることは普通のことだったのだろう。

ひまには理解出来ない"普通”のこと。

 

同期入社の彼等。ひまは給料も相当もらっている。今は彼より多いだろう。

彼女は気持ち重視で、そんな事はまるで言っていないが、私の結婚とは、条件的にもまるで違う。

いつでもひまの味方の私としては、ひまの気持ちも大切にして欲しい!と思った。

 

彼女は苗字を変えることに決めた。

 

それはひろしのママの強硬な考えが理由らしい。常識というものだ。

長男ひろし、ひろしだって苗字は変えたく無い。ふたりは話し合い、決めた。

ひまのひろしへの思いやりだと思う。ここは譲るのがベターな選択だと思ったらしい。そう思えたなら良かったと私はホッとした。

 

でもひまは、自分の考えや思いを伝えずに、人生の一大事!苗字を変える!はできない。

これまでの人生、納得できるまで、自分の考えをぶつけてきた。私ともそうやってきた。先生とも、彼とも、ずっとそうやってきたのだ。そうやって生きてきたのだ。

 

「苗字は変える!でも、ひろしママへこの気持ちを伝えたい。ママの気持ちもきちんと聞きたい!」と言っている。

ママの気持ちをひろしからの又聞きで済ませ、静かに入籍に至るタイプではないのだ。

 

自分の気持ちに蓋をせず、今まで通り、やってごらん!それで良いと思うよ!と私は思う。蓋をする選択肢は無いだろうと思っている。蓋をすべきでは無いと思っている!

それでも、驚くこと、納得できないこと、色々起きるのだろう…

起きて当然だ!

家庭の文化はそれぞれだから。

思いも経験もそれぞれ違う。

 

私の育った家庭、私にとっては居心地が悪かった。その経験を基に、私は自分の家庭を作った。そして、全く違う文化の家庭が出来上がっていった。

あの居心地の悪さも、とても役に立ったのだ。

両親に感謝しないと…

だって、娘にとって居心地の良いチームができたんだから!

 

ひまの家庭、ひろしの家庭、文化が違う。

ひろしの家庭の文化に納得出来なくても大丈夫だよ!

君たちなら、新たな違う文化の素晴らしい家庭が作れるよ!

 

頑張れ!!陰ながら、応援してます。

そしてずっとひまの味方です!!

ひまちゃんはリカちゃん人形で遊べない

ひまちゃんはリカちゃん人形で遊べない…

私は子供の頃、リカちゃん人形遊びが大好きだった。雨の日は誰も遊びに来ない。ひとり部屋中にリカちゃんハウスや服を広げて遊んでいた。だから、たまの雨の日が好きだった。

そんな私の母、ひまちゃんのおばあちゃんは揚々と豪華なリカちゃんハウスと人形を買ってきたのだ。2歳は過ぎて居たが、想像して遊ぶものだから、ちょっと早すぎるかも…と思った。案の定、全然興味を示さない。

おばあちゃんが遊んで見せても無理そう。おばちゃんはガッカリ。

 

おばあちゃんが居ないところで、ひまちゃんは私に言いました。

「リカちゃんは毛があって、気持ち悪い」

ひまちゃんはウルトラマンと怪獣の人形でしか遊んだことがなかったのです。そう、毛は無い!!

 

ひまちゃんはしんちゃんが大好きです。とにかく一緒に遊んでもらえたら、幸せ。

だから、ウルトラマン遊びが大好き。

 

おばあちゃんには悪くて言えなかったとは、小さいけど さすが女子!です。

あっまずい ジェンダー発言。

 

その後、抱っこサイズのお人形メルちゃん(毛のある)は大好きになった。

隣に住む同い年のキラちゃんと このメルちゃんをお世話する遊びが大流行り。メルちゃんのマスクを作って!包帯を作って!とふたりにせがまれた。いつもかぜひいてたり、怪我してたり…そんなメルちゃんたちでした。

ふたりのメルちゃんはひまとキラには見分けがつくらしく、「こっちがひまのメルちゃん、こっちがキラの」何が違うん?

 

メルちゃんの次のお人形はシルバニアファミリー!小さなどうぶつたちとそのおうち、種類がたくさんある!大人が見ても魅力的なシリーズだ。

幼稚園の頃、女の子の間でこのシルバニアファミリーが流行った。

キラちゃんは色んなどうぶつと大きなお家を持っていました。ひまちゃんも欲しがったので一番小さなかわいいお家とキラの持っていないどうぶつたちを買ってあげました。

シルバニア遊びはお人形とお家を持ち寄り、それぞれ自分のお家を広げてセッティング。家具や道具もあるからセッティングするのも楽しい。

遊びを見ていると、広げたお家の中ではそんなに上手く遊ばせられ無いのです。

庭だ!庭があると良いな!!

私は、薄い空き箱の中に紙粘土でお庭をを作ろうと思いつきました。結局、畑と川を作りました。畑には大根とにんじん。川にはセロファンを貼り、お魚を泳がせました。こういうのを作るのが私は好きなのです。シルバニア遊びの際、ひまちゃんは小さなお家とその薄い箱を持ち運びました。ひまのおうちには畑と川がある!とても気に入ってくれたみたい。

 

つい先日、大人になった娘が、懐かしい写真を見つけて、驚きの発言。

シルバニアの家、みんなのはこんなに大きくて豪華なのに私のこんなに小さかったの???

そこには年長さんの3人の女の子がそれぞれのシルバニアのお家と一緒に写っています。

ひまちゃんの前には小さなお家と畑が。

自慢の畑があったから、うちの大きさには気がつかなかったとのこと。なんて良い子なの!!

笑っちゃいます!

 

 

お兄ちゃん呼びはしないぞ!

4才上のしんちゃんは、ひまちゃんが生まれた時から、抱っこしたり、本を読んであげたり、お兄ちゃんをしてました。

でも…

しんちゃん我慢しているかも。

もう少し、年が近かったら、わがまま言って甘えられるのに…言いません。

 

ひまちゃんが生まれて2ヶ月くらい経ったころ、しんちゃんが目をパチパチ パチパチ。

本を読んでる時、テレビ見ている時、お話する時、しょっちゅう お目目パチパチ。

 

眼科へ。 全く異常無し。

 

ストレスからかも…と不安だったお目目パチパチ…たぶん的中…

 

焦っても仕方ないけど、何かしたい。

 

おばあちゃんにひまちゃんを1時間だけお願いして、ふたりでお散歩。

 

ふたりだけで手を繋いで歩く。久しぶりだ。

すごく嬉しそうなしんちゃん。

それでも、「ひまは?大丈夫?」と気にする。

 

幼稚園にも慣れ、すっかりお兄さん扱いしていたけど…まだまだとっても小さい。

そんな彼の生活は2ヶ月前から激変していたのだ。

すごくよく喋る。歌う。

 

木枯らし吹く黄昏時のあのブランコ。

帰りたくないと言うしんちゃん。

私もなんだか帰りたくない。

 

あの光景、あの気持ち忘れられません。

 

とうに約束の1時間は過ぎていた。

カチカチに張ったおっぱいがとても痛い。

ひまちゃんは哺乳瓶が使えない。今頃、泣いて大変だろうと思うとおっぱいが吹き出す。

 

とっても切ないあの気持ち。

これ書いてて、今でも涙出そうになる…

なんでだろ…あの時がまだすぐそこにある…

 

ナハ〜笑っちゃうわ!!

もう息子は立派なアラサーです(´ ▽ ` )〉

 

お兄ちゃん呼びはしないぞ!

名前呼びの兄妹にしよう!

と私は決めた。

優しいお兄ちゃんしてるしんちゃんに そんな役職、役割みたいな呼び方はしたくない。

しんちゃんはしんちゃんだもん。

 

それからしばらく、お目目パチパチは続きましたが、ひまちゃんが歩き出した頃にはパチパチしなくなっていました。

 

しんちゃんはとにかく他人が苦手な子でした。

 

車購入にあたり、ペーパードライバー教習に。

託児所付き教習所だったので、2歳のしんちゃんを預けて…

 

託児所に入った瞬間、しんちゃんの繋いだ手に力が入った。

離さない。そして、大泣き。

保育士さんが、ちからづくで抱っこ。

「すぐ泣き止みますから、お母さん行っちゃって下さい!」

 

教習が終わって、遊んでるかな〜?

託児所を覗くと

しんちゃんは窓のところに頭をこすりつけて、ガサガサ声で泣いていた。

ドアを開けるとヨタヨタと ほっとしたように抱きついてきた。

「すみません。こんなに根性のある子は初めてです。何をしてもダメでした…」

保育士さんも困り果てた様子。

褒め言葉が見つからないのだろう。泣くのも根性か…

 

当然ながら、しんちゃんの幼稚園入園は大変。

毎朝恒例の大泣き。

お迎えの幼稚園バスに乗りたくないと、ガードレールに手と足を絡める。先生はしんちゃんの指を1本1本、ガードレールから剥がす…ガードレールから体を引き剥がせたら、無理矢理抱っこでバスに連れ込む…大騒ぎだ。

 

辛い別れ。心が痛い。

帰りのバスが待ち遠しい。

 

泣き腫らし、タオルを握り締めたしんちゃんが降りてくる。

大好きなウルトラマンのタオル

「このタオルだけがぼくのともだちなんだ」

しんちゃんが言う。詩人か!!悲しすぎるよ…

 

もうやめようか?幼稚園 と言いそうになるのをグッと抑える毎日。

 

悲しい日々はどれくらいの期間だったのか?

いつから楽しそうにバスに乗り込めるようになったのか?すっかり忘れてしまっている。

覚えているのは 幼稚園からもらって来た初めての写真。

しんちゃん、真ん中でカッコよくポーズ!

「〇〇レンジャーのレッドだよ!」と。

ものすごくほっとしたのを覚えている。

 

しんちゃんの世界はここからどんどん広がっていく。

 

小学1年生になって少しすると、私と手を繋いで歩くことが無くっなった。

私が母と手を繋ぎたがらない子だったらしく、「1年生なのにしんちゃんはまだ手をつなぐんだね。」と言われたのを覚えている。

この時の私はその言葉にカチンときた!

しんちゃんが放すまで、つなぎ続けるぞ!!と思ったのだった。

しかし、間も無く、しんちゃんの手は離れて行ってしまったのだ…(^_^;)

 

小学生になると「〇〇くんと遊んでくる!」との報告を受けても、どこの子だかわからない。

わかるのは待ち合わせ場所だけ。

 

帰りの時間が予測できないほどの遠くへ遊びに行ってしまうのだろう、結果、帰り時間が遅れる。

お母さんはすごく心配しちゃうんだよ。って事だけしんちゃんに伝える。

 

私は帰りがちょっと遅くなるとすごく叱られる子だった。とても嫌だった。 

親になってその気持ちはわかるが、叱るのは違うと思う。

 

自転車に乗り始めると どこまで行っているのか…男の子達の冒険は驚くことばかりだった。

 

車で出かけた時に、あっここに来たことある!

とたまにしんちゃんが言う…

こんなところまで!? ビックリ!!

心配でも、しんちゃんの今の活動に線は引きたく無い…

 

ウルトラマンのタオル"だけが友達だったしんちゃん。

彼の世界は広がり続ける一方だろう。

 

予測通り、彼の生活は、広がり続けた。

 

 

ひまちゃんの幼稚園入園は苦労無しだった。

お隣の仲良しキラちゃんと一緒に、恒例のご挨拶も上手。「先生おはようございます!」

バスに乗り込み、ニコニコ手を振り、行って来まーす! 

 

キラちゃんのお兄ちゃんはしんちゃんの1歳下。

いつもふたりはお兄ちゃん達の幼稚園バスを見送り、そのあと朝の散歩をする。それが日課

幼稚園は憧れそのもの。

 

散歩からうちに帰る。

朝、出かけたままの状態。

片付ける間も無く公園へ。

 

ひまちゃんはたくさんのお砂場セットを持って行きたがる…しんちゃんとは正反対。

長靴を履きたがる…それも左右反対に。

公園で遊ぶと帰るのを嫌がる。

 

ご機嫌の悪い日は帰りたくなかったと泣きわめく。

長靴も脱がない。脱がせてくれない。

お砂場着も脱がない。どうにもならない。

 

玄関に放っておいて、私はお家の片付け…

 

ひまちゃん怒り疲れて玄関で寝る💤 

そーっと脱がせて脱がせて、拭いて拭いて、お布団へ。

ふたり目って、育て方 雑だね…ごめんね。

 

生まれた時から、いつもそばにしんちゃんがいるひま。

うちに帰って、私とふたりだけが嫌なの?

 

お兄ちゃんと一緒、お友達と一緒が大好き。

 

そんな彼女は大人になった今も

人が好き、人を大切に思う、人に寄り添う。 

そんな子だ。

 

 

 

 

兄妹ふたりは似てるけど違う!

しんちゃんとひまちゃんは似ている。

似てるけど全然違う!!

 

子育ては驚きの連続!

 

ひまちゃんに歯が生え始めた。 怖い…

でもひまちゃんは、どこにも噛み付かなかったのです!!

そう赤ちゃんは歯の生え始め、みんな噛み付くわけではないようです。

 

 

しんちゃんは本が大好き、ひとりでページをめくって眺めている事もよくある。図鑑が大好き、それを説明してもらうのも大好き。近くに住むおばあちゃんは根気よくひとつひとつ、しんちゃんがわかるように説明する。頑張ってた母の姿を思い出す。ありがとうね。

 

ひまちゃんも本が大好き。

ちゃんとページをめくって見るのが普通かと思っていた。

しかし、ひまちゃんはたまに破る!びっくり!

好きだと熱くなって、チカラが入る。

好きなページから無くなる…

絵本「いないいないばあ」は ばぁが激しすぎ。しんちゃんからのお下がり本は ほぼページが無くなった。再度購入、なぜか2冊目は優しく扱ってくれた。彼女なりに本は破るとつまらなくなる事が理解できたのか???

 

迷路やパズルが大好きしんちゃん。

とにかく迷路の本は買いまくった。公文の迷路を見つけた時は嬉しかった。助かった〜

しんちゃんの満足する複雑な迷路を私は手作りしていたのだ。もっと大変だったのはクロスワードパズル、3歳の頃にはひらがな、カタカナは読めるようになっていたので、おじいちゃんがやっている新聞の片隅のクロスワードパズルに興味津々。

膝の上でタテヨコのルールを教えてもらった。

私はクロスワードパズルを作るのが仕事になった。これが意外と大変、しんちゃんが知っている言葉と問題を考える。しんちゃんが寝たら、ノートと向き合う。公文さん 3歳児用のクロスワードパズルを売ってください!と思っていた。

でも、しんちゃんの成長を知る私にしか作れないものだったはず!!あの手作りクロスワードノートは捨てずにとっておけば良かったと、後悔している。マス目の大きな漢字練習帳を利用したあのノート…私としんちゃんの傑作。

つい先日、お菓子の箱で作った手作り立体迷路、ビー玉コロコロタイプが博多のおばあちゃんの家の納戸から発見された。嬉しかった〜

大きな家ってこんなつまらぬものまでとっておけるんです!じいちゃんばあちゃんありがとうございます。

 

 

ひまちゃんと迷路。

しんちゃんは鉛筆は使わずに、指でなぞってやっていたので、書き込み無しの迷路の本がたくさんあった。そろそろ、ひまちゃんも…と渡してみたら、線だけの公文の迷路は鉛筆の線がグチャグチャに。ゴールに辿り着く前に何が何だかわからなくなってしまう。パラパラとめくると3ページくらいはトライしてある。好みでは無いらしい。

絵の迷路は好きらしい。鉛筆で楽しそうにやっている。のぞくと、岩山も 川の橋も無視して鉛筆の線はゴールへ向う!

ここはのぼる、ここはバシャバシャいく!

なるほど〜感心した!この子、自由な冒険家!

 

パズルのピースの探し方も違う。ひまちゃんは絵をよく見て合わせていく。しんちゃんは形から探し、それから絵を見る派だった。

 

余談

これ書いてて思い出した話

息子が高校生の時、次から次へと数学の問題集を買っていた。大学受験も終わり、片付けを手伝った際、チラッと見たら、新品同様の綺麗なままの問題集がたくさんあった。

これ全部使って無いの??と聞くと

息子「全部見た」

見て、頭の中で解いたという事だろう…これが安定の東大A判定か…驚いた…

 

そうあの頃の迷路と同じ!

どんどん難しいのを欲しがって、見るだけで完結。

 

 

ひまちゃんの2歳児健診!

何の苦労もなく、終わった記憶がある。

長い列、きちんと私の横にいるひまちゃん。近くに並んでいる子供やお母さんとコミュニケーションをとって、笑っている。なんて楽ちん!

 

しんちゃんの行動は特別待遇されちゃうわ…実感した。

 

落ち着いて保険センターを眺めると、みんなお母さんのそばにみんないる。グズグズ言ってる子もそばにいる。

あの頃のしんちゃんは人間よりモノ、コトに興味があったので、私が、しんちゃんがイライラしないように、いつでもどこでも先回りしてイライラを回避するよう努めていたのだ。周りの子供達とかお母さん達とか気にしてなかった…ここはしんちゃんを自由にして安全か?しか考えてなかった。そんな私も特別枠だったのかも…母親の私も気にしてくれての家庭訪問だったのか…と4年も経ってから、気づいたのです(-。-;

 

 

母子手帳通りには育たない!

私の肩はしんちゃんの歯型だらけ。

歯が生え始めのしんちゃんは怖い!!

縦抱っこすると、私の肩に噛み付く、ものすごく痛い。おっぱいが出ないとおっぱいにも噛み付く、ものすごーーーく痛い。

赤ちゃんってそう言うものなんだって思った。

子犬と同じか…

 

1歳半くらいになると

何かやりたくても出来ないことがあると、壁に頭を打ちつける。スーパーなど壁が見当たらないと寝転んで床に頭を打ちつける。

 

とにかく興味のあるものは触りたい。

たぶんみんなそうだよね。

イライラしちゃうよね。外は触っちゃダメなものばかりでごめんね。

 

うちにある手の届く範囲の扉は全て開け、全て出す。缶詰入れてある所が特にお気に入り。全て触る。触りまくる。

ビデオデッキはすぐに壊れた。

赤ちゃんってそう言うものなんだな。って思った。

 

2歳健診。

子供とお母さんがいっぱい。ここで何をしてるのか?知りたいんだろうな。しんちゃんの考えていることはだいたいわかる。

私は並んでないといけないから、しんちゃん見に行ってきていいよ。

と耳元で言うと、嬉しそうな顔をして列から離れて行く。小さな保健センターの中だし、大丈夫。しんちゃんはたまに私の位置を確認しに帰ってくる。順番が来そうなので、おいで〜って言えば、ちゃんと並んでくれた。この子をここに並ばせておいたら、イライラ発動!こんなご機嫌では居られない性分。きっと床に頭を…

 

順番来ました!さすが健診!さすがプロ!

しんちゃんの動きを見逃していなかった。

壁にある電話を見つめていたかと思うと、受話器外して触ったり…

ダメダメ、私がジェスチャーでしんちゃんに伝えてたのとか全部見られてた。

 

「いつもこんな感じですか?お母さんのところ離れちゃうのね。

おしゃべりは?オーム返しとかしますか?」

 

怖い所なら、離れないけど…

この子はあまり喋らない…オーム返し?したことない。

母子手帳の "いいえ”にマルを付けながら、なんの心配もしていなかったあの頃の自分を褒めてあげたい。呑気で何より!

「でも大丈夫なんです。通じます。」

なんか大丈夫じゃないみたいだなぁと初めて思った。

 

「お母さん 頑張ってますね!ホント頑張ってる!あちらのブースでもうちょっとお話聞かせてくださいね。」

 

頑張ってますね。の同情的な言い方、気になるな…別に普通でしょ。お母さんはみんな頑張ってるわ!心の中で吠える!

 

しんちゃんは、お話はよく聞く。理解しようとしてるのが伝わってくる。でも考えてみたら、テレパシーみたいなものかも…言葉じゃない…

確かに、周りの子より声をだすことが少ない…

 

結局、保健婦さんが自宅まで しんちゃんを見に来ることになった。特別待遇。

私は心の中で 

え?そんなにしんちゃん変?そんなこと必要?

 

あの頃、薄〜い育児本と子供の病気の本をたまに開くくらいで、スマホ、パソコンなんて無くて、情報源は図書館。

私はしんちゃんの表情だけ見て、何の不安も持たず子育てして居たのだ。母子手帳の"いいえ”も気にせずに。

しんちゃんはわからないこと、やりたいのに出来ないことにイライラする。

私にとってはとてもわかりやすい子だった。

 

良い時代だった。

 

今は、自分の痛いところ、違和感、すぐにスマホで調べては、気にしてる…

あの時、スマホがあったら…健診で違うブースへの誘導、特別待遇されちゃうこと、色々調べてしまい不安な子育てしていたんだろうなぁ

 

何ヶ月後か…忘れてしまったが、保健婦さんが家まで来てくれました。上手にしんちゃんと遊んでくれました。

その頃のしんちゃんはとてもおしゃべりになっていました。母子手帳通りではありません。

オーム返しもすることはありませんでした。

絵本も読めるようになっていて、保健婦さんがとても褒めてくれました。

 

私が褒められているんじゃ無いのに、すごく嬉しかったのを覚えてる。

 

初めての子育て、

赤ちゃんってこういうものなんだ!って思い込み育てていた私は

第2子ひまちゃんで全否定されるのである…

 

〜余談〜

私は、育児休職をとっていたが、近くの保育園に入れなかった事を理由に退職していた。それも本当なのだが、真の理由はしんちゃんが、可愛くて、面白くて仕方がなかったからだ。私なりに相当悩んだ末の決断だった。

夫は全く送迎も出来ないから、好きなようにして!って感じでした。短時間勤務か?辞めるか?

ひとり悩んだなぁ。今とは時代が違いますよ。

 

2歳児健診、行政から特別待遇されて、

あの時の私が思ったことは

 

私がしんちゃんの1番近くでずっと見ることができて良かった!仕事辞めて良かった!

私はこっちの道を選んで正解!

 

この こっちの道、保育園に預けない道を選んだ!は、良い意味で育児中の私の思考の癖になっていく。

 

 

 

娘が産婦人科へ

博多から帰り、久しぶりに娘と会った。

この10日間の稀な経験を娘が話し出した。

 

「私、妊娠したかと思って、産婦人科へ行ってきたんだよ。」

 

もう社会人の娘、大学は少林寺拳法部。まさかの体育会。あざだらけで頑張っていた。そこで出会った彼と5年以上になる。結婚するだろうと思っている。

 

「結果、妊娠してなかったけどね。」

 

検査薬とかあるのに…病院行ったの??と私が聞くと、

検査薬で陰性でも信じられない。不安で病院行く。だから手っ取り早く病院へ行ったとのこと。

確かに…そうかも。

 

生理が1週間遅れて、行ってきたと言う。遅れることなく生理の来る彼女は、妊娠したと完全に思い込んだ訳である。

娘の行動が興味深い。

会社では、子供欲しいなぁ。子供いたら面白そうだなぁ。あちこちで言って回ったらしい。

私は失敗したのでは無く、子供欲しかったのです!の伏線を張りまくったのだ。

彼女は、度胸があり、追い詰められた時に発揮するパワーはものすごい!と私は評価している。入社2年目、ベンチャー企業のコンサル。仕事は順調のよう。お給料も大企業と違い、年に何回か上がって、だいぶ稼いでいる。当分は仕事優先!キャリアを!!なんて言っていた彼女にとっては青天の霹靂だ。

 

病院へ行って、安堵した娘は、彼氏に結果を連絡するのを忘れてしまったとのこと。病院行くって聞いていた彼は、仕事中に電話をしてきたらしい。

結果を聞いた彼は何と言った?と娘に聞くと、

「良かったって言うのは違うな…今日は仕事が手につかなかった…」

と言ったらしい。同じく入社2年目の彼、安堵した事だろう。

イイヤツだ!と私は心の中で彼を評価した。

 

妊娠したかも事件 以降の娘が面白い。

自分の気持ちを整理し、産むんだ!結婚、産休へ!と、仕事、キャリアに向いていた針を 無理矢理反対方向へ、振り切ってしまった事で、なかなか、もとの仕事モードへ戻れなくなっていた。

仕事のヤル気が出ない…と呟く日々。

 

針は少しずつ、真ん中くらいに戻って行く。

 

そして娘の気持ちは

同棲したいな

から

結婚しようかな に変化したようだ。

 

 

息子が帰ってきた!

28歳息子。大学2年生から一人暮らしをしていた。その長男が、なんとうちに帰ってくる!引っ越してくるのだ!

なんだか嬉しい。

 

同じ都内に住んでいながら、お正月と選挙の時くらいしか帰ってこなかった彼が帰って来ると言うのだ。

スタートアップの会社でエンジニアをしている彼は、どこでも仕事が出来るらしい。サブスクで全国使える家を借りたとのこと。実家を荷物置き場にし、月の半分は美味しいものを求めて、地方暮らし。今の時代の働き方、羨ましい限り。独身の今しかできない事だと息子は言うが…彼女さんどうした??と母としては少し不安。

 

夫は博多。社会人となった娘との呑気なふたり暮らしにひとり追加、3人暮らしのスタートだ。

 

暮らし始めてみて、彼はマイペースの天才だった事を思い出した。たまに帰ってきた時は、気を遣っていた事に気づいた。

月の半分はこのうちで仕事をする。コアタイムは無いようで、朝から晩まで仕事していたり、お昼ごろからしていたり…不思議な感じ。ほぼ週4〜5日は夜出かけて行く…飲むのと食べるのが大好きな息子の生活ってこんな感じなんだ〜と驚くことばかり。

帰ってくるのは朝だったり、3時ごろだったり、タクシー利用はしょっちゅうか??突然飲み相手が決まり、出て行く日もあり、晩御飯いるのか?いらないのか?そもそも作って貰おうとは思っていないような…

 

娘は地方出張が多く、居ないことが多い。お友達や彼氏との食事予定は突然ではなく、朝から決まっている。ちゃんと晩御飯を作る日、ひとりで納豆、漬物、残りものの日、そんな毎日だった。

しかし、久々のマイペース息子の登場。どうすれば快適に暮らせるか?思案のしどころだ。

 

結局、たどり着いたのは、いつでも何か作れるように冷蔵庫には肉、魚、野菜を準備。

晩御飯欲しそうだったら、何かパッパと作る。

スーパー家政婦!!いやこれは、息子相手だから、出来る事だろう。 “愛” ってヤツだ。

 

 

息子はくるみを溜め込むリスのように

空きペットボトルを机、ベット脇、枕元etc.に溜め込む。そう、これは今始まった事では無い。高校生の頃から変わってないのだ。寛大な私でもあの頃のようにイライラした。

考えた。

あの頃は、そんなゴミも捨てられないだらしない態度を直したい!と思っていた。しかし、もう私の子育て期間はとっくに終わっているはずなのだ!

考え方を変えよう!

そう私は家政婦。リスさんが溜め込む前にどんどん片付けよう!

そして毎月貰うお金に加えて、ペットボトル処理料を5000円加算しちゃおう。とても高い気がするが…嫌なら自分で片付ければ良いのだから…

息子に「ペットボトル片付けてあげたよ。処理料5000円もらう事にしたよ」と言ったら、あっさり「ありがとう!了解」とのことだった。

 

そんな事を色々工夫しながらの3人生活。

たまに夜中、お酒の入った3人が顔を合わせ、盛り上がることもある。偶然、予定合い3人で外食したり、ワールドカップに熱くなったり…

大人になった彼らから、刺激を貰い、とても楽しい。

きっとこの時間は神様がくれた贈り物だと思う。

そんなに長く続くことは無い。

そんな同居生活を母は幸せに思うのです。